米子八幡神社の建築意匠と彫刻
             
            
建築意匠と彫刻の八幡ギャラリー



 

   境内散歩



     


 「八幡さん」 ~天皇・秀吉・米子城主も祈願

絵・米子美術家協会会長加藤哲英氏
 (日本海新聞・「歴旅」2013年3月14日



平成25(2013)年9月07日(土)更新
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 建物を二つつなげた八幡神社造り

 八幡造りは宇佐神宮代表される独特の建築様式を指す。 
 
 白壁朱漆柱をもつ切妻造り・平入りの華麗な建物を前後に二棟並べ、両殿を「相の間」でつなぐという、真横からみると「M」字に見える様式になっているのが特徴である。                           

 手前の建物を「外院」、奥の建物を「内院」と呼び「相の間」を幣帛(お供え)などを捧げる幣殿(へいでん)とされている。           

 この「外院」と「内院」の関係は、一般の本殿と拝殿の関係とは違うもので、内院には御帳台(みちょうだい)が置かれ、祭神を祀る一方で、外院には御倚子(みいし)と呼ばれる椅子が置かれここにも神が降りられるのである。                                   

 神は、昼は外院におられ、夜は内院に移られるとされるため、どちらの建物もむやみに人が立ち入ることを許されない神聖空間となっている。
                 

[神社建築] 本殿様式 八幡造  関連HPにリンクします。(素晴らしい八幡造りの建築意匠のオンパレードです!必見!)


絵・米子美術家協会会長加藤哲英氏 (日本海新聞・「歴旅」2013年3月14日
米子八幡神社・本殿全景
米子八幡神社妻飾り
米子八幡神社妻飾り
米子八幡神社・拝殿正面
米子八幡神社・拝殿
米子八幡神社の本殿・拝殿の蛙股と建築意匠1
米子八幡神社の本殿・拝殿の蛙股と建築意匠2
米子八幡神社の本殿・拝殿の蛙股と建築意匠3
米子八幡神社の本殿・拝殿の蛙股と建築意匠4
米子八幡神社の本殿・拝殿の蛙股と建築意匠5
米子八幡神社の本殿・拝殿の蛙股と建築意匠6
米子八幡神社の本殿・拝殿の蛙股と建築意匠7
蛙股 桐の紋章
蛙股 菊の紋章
米子八幡神社と大山(だいせん)



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鳥取・米子 八幡神社 山陰最古の神像発見される

八幡 神社は米子の郊外、東八幡町にある。ここは米子を流れ日本海に注ぐ大きな川・日野川ベリ辺だ。


豪壮な注連縄のある隋神門から直ぐ向こうの日野川土手を望む。


今年一月、本殿床下で厨子に入っていた神像が発見された。平安時代作と見られる。

立膝型の女神像は幅35cm、高さ50cm、優美な姿、衣には赤の花文様、緑の彩色、金泥も使用してある。

像は広葉樹の一本から彫ってあり、木心が左右に二つ認められると・・・木材は枝分かれした瘤状のものと見られる。彫刻に不向きな木をあえて使用したのは、【ご神木】等の由緒のある木を使ったものではないかと思われる【関西大学教授・長谷洋一氏】の文から引用


右・一昨年暮れ発見された女神像。こちらは豪快な作風で、威圧感を感じるほど 表情が強い。こちらの方がおよそ60年ほど古いと言う。

中心が裂けている、何か人々の祈りの思いを受け止めて、中に入れ、叶えた結果のようにも感じられると、訪れる人に親切に説明されていた内藤和比古宮司がおっしゃっていた・・・


拝殿の中には左右に社殿狛犬があった。かなり古いものの様だ(今回発見されたものではありません)造形も表情も素晴しい。久しぶりに良いものを見た・・

愛らしさと力強さと感じて惹き付けられた

古いものは何故こんなにいいのだろう・・・(時熟・時が熟した)と言うことばかりでなく、生きる言うことに、昔の人は直に、切に対峙していた結果ではないのか・・・と思った。



拝殿内部に応神天皇と母の神功皇后の大型の絵馬があった(以前から掲げてあったものです。)ここの神社の祭神は、応神天皇・誉田別命(ほむたわけのみこと)。庶民の間の母子信仰の拠り所である。


何時の時代の何の戦いか聞き漏らしたが、戦闘の絵馬もある。



立膝型の神像は全国で12体ある。その中で鳥取県下最古の神像が八幡神社で2体見つかった・・・山陰の歴史が古く深いことが覗われる。郷社である八幡神社は戦後日野川改修で大きく社域を減らされ、本殿も位置を変えられたと聞いたが 、豪壮な由緒ある雰囲気は十分に感じられた

古代出雲王朝は出雲地域が中心と思われているが、ここ鳥取の伯耆国、因幡国ももっと出雲王朝の重要な地域であると覗わせる発見であると思う。



公立大学法人・鳥取環境大学環境学部環境学科浅川研究室 浅川研究室
Lablog 2G から

建築彫刻の見方

米子八幡神社の建築年代は、本殿は天保12のもので、彫刻のそれに類する。
が、拝殿は、時代がグーと古く、特に彫刻類は、その建物よりも更に古い。
というのも、はめ込み式の蛙又が使われており、その年代が室町期のもの、安土桃山期を下るものでは無い。---国の技官の調査報告。
かっては、朱塗りの社殿の可能性がある。 
最近、戦国期の棟札も発見された。 (投稿者)
米子市の史跡紹介看板
蛙股
妻飾り
蛙股
蛙股
隋神門と鳥居